ナンセンス絵本の作者として人気の内田麟太郎さん。そんな内田さんの子ども時代は悲しみと憎しみの中に生きていたと言います。 そしてこのお話は自伝的な絵本として作られました。 幼い小熊の「ぼく」を残して死んでしまった母。悲しみの底でうずくまる「ぼく」。やがて家族ができ、おじいさんになり娘が子どもを抱いている。−ママ、ママ。 「ぼく」は涙があふれてきた。「ぼく」の悲しみよりずっとずっと深かったかあさんの悲しみがみえてきた・・・。 小さい子どもの立場、母親の立場からダイレクトに悲しみが伝わってきて読んでいてちょっとつらい程。特にこぐまが雨にぬれている時の目を見ていると具体的ではなくても「悲しみ」というものを全身に感じてしまう。それでも最後には母のはるののはらの心、母の声、幸せも感じる事ができます。もっと早くに見えていれば・・・と思わずにはいられません。この絵本に添えてある内田さんの言葉に全て表されています。 「どの子も無条件に愛されてほしい・・・それがいま私の一番の願いです。悲しい時をすごさなければならなかった子は自分を愛せない子になります。それを取り戻せるのはただ優しい人との出会いだけです。」 色々な立場の人に読んでもらいたい一冊です。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
母のない自分を悲しんでいた。しかし、幼子を残して死んだ母のほうが、悲しみがずっと深かったことに気づいた。タンポポがゆれる春の野原は、いつも自分のそばにあったんだ。子熊の悲しみが胸にせまる、著者渾身の作品。
作者、内田麟太郎さんの自伝と言われている絵本で、主人公の小さな熊の「ぼく」が、何だか麟太郎さんに似ています。
途中まで読んで、心がとってもとっても痛くなってしまいました。
読みながら自分自身が傷ついてしまうような。
絵本の中の「ぼく」を抱きしめて、一緒に泣きたいと思ったほど。
でもね、あるペ−ジでふっと力が抜け、穏やかに笑っている自分がいるんです。
そして、次のペ−ジからもう涙が止まりません。
何度読み返しても、そして絵本を閉じても。
親を亡くしたときの慟哭、そして、それが少しずつ癒えてきたときに気付く自分の中の大きな存在。
悲しみをこえた先にある「かあさんの こころ」を、麟太郎さんは絵本の最後に綴っています
「かあさんの こころは のはら。はるの のはら。 」
タンポポの咲くのはらの絵が、とても柔らかいです。
私の中の かあさんの こころは つき。しずかな つき。
いつも見守ってくれている。だから、夜になると祈りを捧げます。
悲しみをこえた先で流すかあさんへの涙は、
いつまでもかあさんの子どもであるということの証なのですよね。
かあさんのこころをしっかりと自分の心に抱きしめて、しっかりと生きていこうと思います。
人はいき急いで、自ら星になんてなってはいけないのですから。 (ぴぃまま。さん 40代・その他の方 男の子21歳、女の子18歳)
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